まず俺が応援してもらいたい理由の前に、俺の半生について説明する。めちゃくちゃ長いが見てほしい。俺は今18歳で、大学生である。母父と1個上の兄の4人家族に生まれたが、これが俺の応援してほしい理由にして、3人とも俺の人生最大の足枷である。父は水道工事系の会社に勤めていて、母は色々転々としたが今は食品系に勤めている。兄に関しては後述する。父は一言でいうとDV親父であった。日常的な暴力はもちろんだが、とにかく自分本位である。母と喧嘩して乳飲み子を置いて1ヶ月帰らなかったこともある。何より俺が一番印象に残っているのは、赤子時代の俺の泣き声がうるさいときは、ガムテープで口を塞いでいた、という話である。いまだに母の嘘なんじゃないかと思うレベルである。そんな父と母は俺が小3の頃に離婚した。俺の人生の歪みがあらわになり出したのはこの頃である。俺はその頃から家出したり、しばらく不登校になるなど、劣等生ルートを辿っていた。一方兄は学級委員をつとめる優等生ルートに。今でも覚えているのは、白玉を作ろうとして水の量を間違えた俺に対して発狂しながら怒り、殴ってきた母が、兄がチョコレートを電子レンジにかけすぎて焦がしたときは「そんなこともあるよ😊」と優しく慰めていたことである。しかし、俺は小6になるとなぜか改心し、中学に上がる頃には勉強で完全に兄を越していた。逆に言えば兄のメッキが剥がれはじめていて、兄の人生もここから狂い出した。地元の公立進学校を志望していたが、母に無断でワンランク下の私立校に志望を変えていた。無断、というのは、俺の家庭はそこそこ貧乏なほうだからである。私立に通うとなると生活はカツカツで、しばらくはダイニングルームの電気をつけずに暮らしていた。それでも兄はやりたい部活(映画部)があるといい、母も仕方なしに進学を認めた。翌年俺も高校受験生になり塾に入ったが、俺ははじめから兄が諦めた公立高校を志望し、模試でもA判定しかとらなかった。その一方で兄は高校で一人も友達ができず、勉強もついていけず、部活も元々入ろうとしていたのとは違うコンピュータ部に入った。思っていたのとは違う生活と見下していた弟の成績にだんだんとストレスを感じることが増え、俺への当たりも強くなった。俺は難なく志望校に合格し、割と楽しい生活を送るようになった。だが、母と不仲になったのは高校進学後少ししてからのことである。以前から母は「お前が高校受かったのは私のおかげ」のような発言をしており、冗談と思って流していたが、母と何かの拍子に喧嘩になった際、冗談でもそんなことは言って欲しくなかった、ということを伝えると「冗談でもなんでもない。高い金払って塾に入れて、お前を進学校に受からせたのは私を侮辱した父親に私の正しさを示して見返すためだ。」という返事が返ってきた。そこからは自分の中の何かが切れ、母と他人のように接するようになった。また、高三になった兄はいかんせん成績が振るわず、当初早稲田志望だったが最終的に獨協大学に進学した。大学も私立だったためまた一悶着あったが、全額奨学金で将来自分が払うものだから、と押し切って私立志望のままだった。兄が大1、俺が高3の頃、ついに兄がおかしくなっていった。春頃バイト探しに躍起になっていたが、陰キャでチー牛顔のため落ちまくり、やっとの思いで丸源ラーメンのオープニングバイトに採用された。だが、2〜3度の研修の後の本オープンの際、「明日バイトか〜って憂鬱になるのが嫌になった」という理由でバイトを飛んでいた。それが発覚するのは夏前のことである。母と俺にはバイトを飛んだことを隠していて、当然どこかで時間を潰すのだが、フラフラしている間中卒の友達やレジスタ○スに影響され、パチンコにハマっていった。貯金はほぼないので、奨学金に手を出し、一月で40万ほど負けていた。夏にそれが発覚し母に問い詰められても、「わかんない」「なんかそんな気分だった」の繰り返しで、とりあえず死ぬ気でバイトして使った分を稼ぐ、というところで落とし所がついた。しかし、その一週間ほど後になると家出し、10日ほどでまた40万円使っていた。いよいよ大学には行かせられない、となって退学し、その後はニート生活を送っていた。この家出期間中兄の部屋を物色したが、高額な美少女フィギュアや謎のアニメグッズだけでなく、自身の小便でいっぱいになったペットボトル数十本やストゼロ缶が幾つも見つかった。おそらくなにか精神的なものを患っていたのだろう。そして、俺の受験真っ只中の2025/2/17に、最後の家出をした。最後というのは、もう戻ってこなかったからである。この時は1〜2日で20万円使っていた。
俺の受験の話に戻る。俺は母親に父親を見返すため、と言われたことがずっと胸に残っており、今度は誰の手も借りず受かろう、と決意し、塾・参考書なしで東京一科に合格した。だが、やはり誰の手も借りず、というのは難しいもので、今度は「寒い日に送迎してもらった恩を忘れたのか」と母に言われた。
大学進学後は今まで一年に一度会う程度だった父がしきりに連絡をしてくるようになった。なんでも「兄はもうダメだから老後は金持ちのお前に頼んだ」だとか。
ここから本題に入る。俺が応援してほしいのは一人暮らしに踏み切ることである。なかなか一人暮らしできない理由は2つある。一つは先述のとおり、我が家がかなり貧乏だということである。俺の貯金は20万円ほどだが、おそらく家族の中で一番金持ちなのが俺である。現在母が重度の尿管結石で休職中だが、貯金がほとんどないらしく、俺の奨学金や教育ローンを生活費に充てる必要があるそうだ。当然家賃は期待できないだろう。2つ目はそもそもの家庭構造である。今俺と母が住んでいる家は父の持ち家であり、離れて暮らす父の所有物に住んでいるという少し変な形である。父は俺が住んでいるから、という理由で母が住むことも容認しており、俺がその家を出て行った場合母は住めなくなる。しかし、母には借金もあり、どこかアパートを借りるほどの資産形成能力がないので、俺は離れるに離れられないのである。あと犬もいる。だが父は俺が大学卒業後その家に住み続ける場合は俺から家賃を徴収するつもりらしく、今のまま住み続けるわけにもいかない。
一人暮らしはそれほど覚悟がいることではないかもしれないが、この家族という18年続いた呪いを断ち切るという意味では、俺の人生の中で最も大きな一歩といえる。似たような境遇に苦しむ子供の希望になる、という俺の原初の目的を果たすためにも、間違いなく必要なステップだ。目標は4月入居だが、1,2月になってから準備では遅い。そして、今週土曜から母が入院するため、今年中に決断するには明日にでも母に伝えねばならない。その勇気を出すため、どうか俺を応援してほしい。今晩の皆様の応援が明日の俺の一歩になる。

頑張ってくれ。ここまで生きてきたこと、すごい。俺なら多分死んでた。まあ、これからも頑張ってくれ。
中1、ただの天才より