あの奴隷野郎。宗教の奴隷め。考えるだけでムカムカする。だが、屑野郎による怪我の功名で、学んだこともいくつかあった。
まず、マナーとかエチケットとか口うるさくいう奴は、多くの場合、碌でなしが多い。こいつが典型だ。自分で実践できてないくせに、言うなよって思うんだな。
それからこう言うことを言う奴は、表層的な偽善者なんだよな。結局体裁以外どうでもいいって思ってる薄っぺらい人間なんだよ。だからな、人格や性格がロクでもない奴が多い。当たり前だな。薄情で、不誠実で、偽善な人間が真っ当な人格を持ってるわけがないんだ。
俺はこの事に長い事気づいてなかった。無知な若造だったな。そして最も重要な事は、寛容性と奴隷根性や奴隷願望が相容れないって事だな。俺は宗教の全てを否定するわけじゃない。多くの宗教信者は自由人さ。でも宗教は少なくない奴隷を生み出すんだ。だって宗教、特に原理主義は、被虐的で父権主義的な妄想への忠実さ、従順さを求めるからだ。そんな事に応じるやつなんて、奴隷以外いないんだよ。だから原理主義者の連中は奴隷の集まりなんだ。
寛容性は自由があって初めて成り立つ。精神的、肉体的自由があってな。それがない束縛された奴隷の連中は、隷属と惨めさに自らのアイデンティティを求める。これは万国共通だ。だから、少しでも自分を解放するもの、他人と違う事をするものを許せない。だから、それを叩き潰そうとする。
幸いだったのは、俺が通ってたリベラルな教会では、この変な男は少数派だったって事さ。他の連中は奴を慇懃に適当にあしらっていたな。口には出さないが、奴等の気持ちは、「風変わりなおじさん」で一致だろ。ぎこちない仕草や言動には、結構皆、適当にあしらっていたし、はっきり言って相手にしていない感じだった。この屑野郎の嫁さんと子供がまともだったのは、かなりの救いだったな。この二人は、屑野郎と違って、礼儀正しく優しかった。
つまり、親が奴隷野郎だからって子供は違うのさ。俺はだから、親と子供を同一視する奴は本当に馬鹿だと思う。それからな、この奴隷野郎はこれでも、定職としては大学教授をやっていた。だから俺は、教育に携わる者の事を聖職者とか言う奴は馬鹿だと思う。っていうか、聖職者、まあ教育者と似たようなもんだな。どちらも生徒や信者っていう立場の弱い奴らに対して権力を振るう、洗脳する任務を負っている。どっちも自分の欠陥は棚に上げて、立場の弱い奴らを服従させようとする。どちらも蹂躙には目を瞑る。考えてみれば、腐っている点でいけば、聖職者も教育者も似たり寄ったりなんだよ。この奴隷野郎も、毒親と生まれ育った教会の牧師達に洗脳され、奴隷にされたんだから。
だからって奴に同情はしないけどな。それに、聖職者も教育者も尊い人間扱いされてるけど、あれは宗教と同じくらいタチが悪い、一種の神話なんだよ。教皇で人を殺した奴もいるし、生徒を強姦して殺した教師もいる。実は最近の研究ではな、聖職者も教育者も、サイコパスやナルシストみたいな人格障害者が多いってわかってる。権力に惹かれる奴は、碌な奴がいないからな。だから俺は騙されない。言説なんてほとんど嘘だと思ってる。
俺はだから、こいつの肩書きや学歴なんてどうでもいい。こいつは人として失格。ただそれだけだ。これから生身の人間を見る奴が増えるといいな。肩書きや学歴なんてどうでもいいから。
