偽善者は本当に重要な事を批判しない

私は、不運にも訪問することになった教会の偽善者たちよりも、世界中の宣教師たちをはるかに尊敬している。宣教師たちはしばしば社会から疎外された人々と結びつき、彼らの中で暮らし、彼らの権利を擁護する。偽教会にいた偽善的なリベラル派は、トランプをこぞって批判する一方で、独裁政権を糾弾する指一本さえ立てなかった。

彼らは臆病だった。報復で脅さない相手しか糾弾できなかったのだ。アメリカもイスラエルも、欠点はあっても民主主義国家である。それゆえ、これらの国の指導者たちは、反体制派を激しく取り締まることはできない。彼らは、自分たちのグループの権利がいかに侵害されているかをさんざん訴える一方で、不法移民をかくまうなどして、自分たち自身もしばしば問題を起こしていた。

彼らがロシア、中国、北朝鮮を糾弾しないのは、そのことを物語っている。今日に至るまで、歴史上最悪の人権侵害を犯している国ばかりだ。中国は無数の政治犯を投獄し、非人道的な扱いをし、少数民族を迫害し、自国民を抑圧している。ロシアはウクライナに侵攻し、無数の残虐行為を行い、政治犯を迫害し、国内の反対派を取り締まった。北朝鮮は自国民を抑圧し、貧困にあえぎ、政治犯を迫害している。

彼らの戦略は明らかだった。穏健派には吠え、最悪の状況からは目をそらし、常に安全な距離から批判する。彼らの行動は、自己陶酔的で利己的な男たちによるレジャーに過ぎない。彼らは不快な現実を見ようとはせず、自分が輝けると思う大義名分を優先した。それは常に幼稚だった。

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