奴隷の心は変えられない

俺は人間って変わるもんだと思ってたけど、それは考えが甘かった。世の中には改善の余地の無い人間もいるんだよな。その中の一人が、俺が不幸にも出会った男だよ。そいつはいつもぎこちなくて、変なやつだって思ってたけど、大して気にしてなかった。でもある日いきなり、俺に被害妄想の言い掛かりをつけてきやがった。意味不明だったな。あいつの記憶も、小さい頃の洗脳で歪められていて、実際の出来事と妄想を区別できてない人間だった。それで、感情を制御できない奴だから、沸騰したヤカンのようにずっと感情が高揚したままなんだよ。まじで知るかって思った。こいつの被害妄想は、こいつの毒親と社会のせいだろ。俺に八つ当たりするなって感じた。でも、宗教の奴隷であるこいつには通じない事なんだよ。こいつはどうせ生涯通して宗教の奴隷だろうな。それ以外の考えが作れないんだろうよ。
俺はむかついた。精神の奴隷ほどタチが悪いものはないって心底思ったよ。こいつは自由意志も持ってないから、責任も、常識も、潔さも、モラルもない。ただ単に猛獣のように吠え、支離滅裂なことを言い、意味不明な言いがかりをつけてくる。そして、自分の事を顧みず、一方的に相手を非難する。

俺もこいつには堪忍袋の緒が切れた。まじで意味不明な奴だった。こいつは宗教の奴隷にいまだになってるけど、それによって自分で自分の首を絞めてるんだよ。片頭痛も鬱っぽいメンヘラも、精神不安定な状態も、こいつが原理主義の宗教を引きずっている事と、毒親と絶縁できない事で起こっている事なんだ。その腹いせを俺に向けるなよ、クソ野郎、って思った。

でも結局、精神の奴隷状態から自分を解放するのは個人差がある。この男みたいに、一生奴隷のままっていう奴も少なくない。自我がない人間とか服従しやすい人間、支配されやすい人間、確固とした道徳感を持っていない人間は、一度精神の奴隷化を味わうと一生奴隷のままっていうケースも少なくない。逆に屈辱を感じたり、逆境に対する強さ、強い自己を持ってたら、簡単に精神の奴隷にはならない。

俺はこいつがあまりにも碌でもないから、怒りを感じて、同情なんて一切感じなかった。こんなやつに同情なんて必要ない。こいつの被害妄想は大迷惑でしかない。自分が自分をコントロールできない、精神の隷属状態から抜け出せないのは、俺の知ったことではない。

まじでくだらねえ人生だよな。この男は、18歳で宗教原理主義を離れて、今42歳になる。だから、24年間経ってるのに、今だにその当時と同じ宗教の奴隷のままだ。馬鹿だよな。愚かだよな。でもこいつは自分の愚かしさも分からねえんだよな。

俺はその男にこう言ってやりたい。「そんなに奴隷でいたいから、一生奴隷のままでいろ。お前は自由人になる器なんてないんだ。自由意志も責任も、感情の制御もまともな記憶もできない人間が、精神的隷属から解放されるって考える方がおかしいかもな。死ぬまで精神の奴隷、宗教の奴隷ののままでいろ。だが自由人のふりをするな。他人を騙すんじゃない。自由人と奴隷は全く別の生き方をする。お前は奴隷としての生き方しか知らないんだから、人に言い掛かりつけるな。」

俺はとてつもなく無常に感じた部分もあるな。それまで俺の理想では、社会は、人間は変化する、変革するって信じていた。でも、この碌でもない男に会って、そんな淡い期待は木っ端微塵に砕けたよ。奴隷は永遠に奴隷のままだ。精神の自由が皆無だから、絶対に変わらない。自分達が一切幸せにならないのに、盲目的に自分を抑圧する存在を信じてやまない。そして、論理的に考えられないから、当たり散らしたり、支離滅裂の言いがかりをつけてくる。こいつの場合、主人自体が妄想で、実在もしてないのにな。その主人、こいつを統制し、地獄に落として焼く事もできる主人を、こいつはいまだに盲信しているんだよ。恐怖と妄想と狂信が交差してな。こいつと話しても全くの無駄だと俺は悟ったよ。こいつは、永遠の奴隷なんだ。普通の自由人とは永遠に交わない、平行線の上に立っている。

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