宗教なんかクソ喰らえ

すべての宗教が同じように作られているわけではないという厳然たる事実がある。宗教はその質においてイデオロギーと同様に多様である。なぜなら、宗教はイデオロギーの一種であるからだ。ファシズムやナチズムのように卑劣なイデオロギーもある。原理主義的なキリスト教やイスラム教のようなある種の宗教も同様だ。これらはいかなる意味でも慈悲深い宗教ではない。私は経験からそう言える。

原理主義キリスト教は心を毒する。子供の頃にこのカルトに洗脳された男に会ったからだ。現在42歳にもかかわらず、彼はそこから立ち直っていないようだった。その影響はあまりにも広範囲に及び、彼の脳の構造までもが洗脳によって変えられてしまったのだ。彼は独断的で近視眼的な男で、ユーモアを理解することができず、無言の批判を抱き、他人に怒りを爆発させた。私は彼のことを少しも気にかけていない。彼は私を欺いたひどい人間だからだ。しかし、洗脳は彼に取り返しのつかないダメージを与えたようだ。

イスラム原理主義者はもっとひどい。キリスト教原理主義者は不寛容で憎しみに満ちているが、多くの場合、暴力的ではない。イスラム原理主義者はそうではない。彼らはしばしば罪のない民間人を殺害するテロ行為を行う。彼らの行動は世界的な脅威として認識されている。彼らは狂人の集団であり、武器を持っている。

私は、この不誠実な男が私に浴びせた馬鹿げた非難など、どうでもよいことだと感じた。もし彼がそのような非道徳的で不誠実な人物なら、他人を指弾する権利があるのだろうか?ばかげている。彼には基本的な良識がないようだし、私は彼の非難に付き合う気はない。私は無神論者であり、言論の自由と信仰の権利を持っているので、いかなる宗教にもひれ伏すつもりはない。

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