偽善的な偽教会にいたことで、平和主義者がいるにもかかわらず、なぜいまだに戦争や独裁が続いているのかわかった。偽教会の男たちは、実際に独裁政治に反対するとなると、最小限の努力しかしないように見えた。
彼らはトランプやイスラエルを大量に批判する一方で、中国やロシアには指一本触れないようだ。これらの国々は、イスラエルやトランプ政権が行っている人権侵害よりもはるかにひどい人権侵害を行っている。彼らのスタンスは明確で、穏健派は糾弾するが、最もひどい人権侵害からは目をそらす、というものだった。
私は本物の政治犯の事例を読んだことがある。彼らには、指導者を公然と批判したり、注目に値する大義を選んだりするような余裕はない。彼らは逃亡を余儀なくされ、偽名を使って逃亡し、家族を匿ってくれる人を探す。彼らの家族もまた政権に狙われている。彼らは命からがら逃げる必要がある。捕まることはしばしば死と同義であり、あるいは死よりも過酷な運命に直面するからだ。終身投獄、拷問、裁判なしの処刑などだ。
このような男たちは、安全な場所からいつも批判しているだけの暇人だ。そして、彼らの中には、洗脳されたカルト出身者がいて、私を糾弾し始めた。彼らがどれだけ暇なのか、本当に唖然とした。もし彼らが有意義な変化を起こそうと努力する政治犯のようであれば、他人がどう行動するかなどという些細な事で感情的にならないはずだ。この男は溜め込んで爆発したとたん、私は彼の素顔を目の当たりにした。彼は臆病者で、偽善者で、嘘つきだった。私は彼との関係を絶ったことを後悔していない。ろくでもない男など無視すればいい。屑でしかないのだから。