洗脳されたからといっていつまでも被害者じゃないはず

とはいえ、洗脳された個人に同情しすぎてはいけない。この哲学の教員は当時から24年間、自分の考えを処理することができなかったようだ。たいていの人にはそんな余裕はない。そして、その困難のかなりの部分は、彼の勤勉さと従順さに起因しているようだった。

彼は教会での仕事と義務に勤勉だった。長時間働き、多くの同僚に会い、ドイツ語を勉強した。私生活では、良き父親、良き夫であろうと努力しているようだった。しかし、私が見たところでは、彼はいまだに感情の起伏が激しく、感情の抑制に悩まされているため、彼の妻は苦労しているようだった。特に親しい間柄では、十分な調節ができないようだ。我慢するか爆発するかのどちらかだ。そして、しばしば情報を記憶違いし、怒ると理性的に考えることができない。

また、彼は従順に見えた。自分をカルトに洗脳したのは両親であるにもかかわらず、両親を否定的に描くことを警戒していた。教会の事務員としての義務も進んで果たしているようだった。彼はまた、働くために生きているようで、日曜の教会の後、哲学の学者たちが海外からの客であれば、会うことさえあった。

私たちはしばしば、従順さや勤勉さを美徳と同一視するので、こうした例を示した。しかし、彼の場合、それがかえって脱洗脳を妨げている。子供の頃に経験した洗脳から逃れることが難しくなるのだ。従順さも勤勉さも、他人が設定した外在的な基準に従うことである。また、上司や組織の気まぐれに従うことでもある。それらは個人の解放のためではない。

彼はまだ子供の頃に培った硬直した思考から抜け出せないでいる。たとえ知的化しようとしても、脳の感情面は何年も前の洗脳によって傷ついたままだ。扁桃体は闘争と逃走の反応を起こし、海馬は感情的な記憶、あるいは感情によって歪められた記憶を保存する。その結果、彼は感情近視に苦しむことになる。残念なことだが、事実である。

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