タコピーアニメ良すぎたので硝子の線の考察していく

『タコピーの原罪』アニメのエンディングテーマ
Tele –「がらすの線」
この曲と映像演出を含めた総合的な考察を以下にまとめます。

1. 歌詞の意味と物語構造のリンク
歌詞は、明示的に「タコピーの原罪」のストーリーをなぞるわけではないのに、感情の本質や視点の移り変わりを的確に反映しています。

代表的なラインと解釈:
「ほらね、もとどおりだよ」
 → 何度も何度も繰り返される暴力や孤独のサイクル。子どもたちはそれを“日常”として受け入れるしかない。けれどそれは「本当に元通り」なのか?という虚しさ。

「ばらばらも、いつの日か」
 → 崩壊した家庭、関係、心。バラバラになってしまったものが、「いつか」またつながることを願う、ほのかな希望。

「初めまして、僕が台無しにした光」
 → これはまさにタコピーの立場。無垢であろうとした存在が、自らの無知・純粋さによって何かを“台無し”にしてしまった痛み。

「君の頬の線をなぞる」
 → ハッピーの行動、あるいはしずかの孤独へのまなざし。身体的接触はないが、「見つめる/思う」という行為でつながっていたあの切ない距離感。

2. エンディング演出の意味性
静止したカット、誰もいない空間
これは物語で描かれる**「感情が取り残された場所」**を象徴しています。

キッチン、夕焼け、排水溝などは日常の風景。でもそこに誰もいないことで、逆に「喪失」や「記憶」が強調される。

彩度の低い色調 → 時々入るプリズム的な光
無機質なグレーとくすんだ空気感のなかで、プリズム的に光が差し込む瞬間がある。
→ 壊れてしまった現実の中に、わずかな“希望”や“記憶”が屈折して残っている演出。

3. タコピー視点からの心理的反復
この曲は、「しずか」や「まりな」の視点とも取れる一方で、特にタコピー(ハッピー)視点の内面描写にも深く重なります。

彼は繰り返し「もとどおり」にしようとする。

でも“魔法”はもう届かない。“幸せ”を信じたのに。

最後には「自分が魔法になるから」「理由になるから」と自己犠牲に近い再生を志す。

これは、

“加害者になってしまった純粋な者”の贖罪と救済の物語

を詩的に、繰り返し語っているように見えます。

4. 愛、暴力、孤独の「連鎖と断絶」
歌詞に出てくる“がらすの線”は、関係性・心・記憶の断絶を意味します。

でもなぞることで、忘れないようにしている。

それは「継承」ではなく、「断絶を受け入れる」という選択でもある。

5. なぜこのEDが胸に残るのか?
タコピーの物語は、視覚的・演出的に残酷で過激ですが、EDは音楽と映像による静かで優しい“追悼”。

終わった後に「この子たちが感じていたこと」を視聴者が静かに内面で再体験する時間になっています。

これは“癒し”ではなく、“余白”。
何も言わない、語らない中で、それぞれが向き合う“原罪”の空間です。

まとめ:『がらすの線』が意味するもの
要素 解釈
タイトル「がらすの線」 壊れやすい関係性、感情の境界線、過去と現在の断絶
「ほらね、もとどおりだよ」 嘘のような安心/壊れてしまったものを繰り返す皮肉
語り手の視点 タコピー(あるいはしずか/まりな)の内面
「魔法」 幼い希望、幻想、救済の象徴(もうないもの)https://youtu.be/uA50rpzCKqY?si=NKkBybldOYQ-tjWq

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