麦わら帽子と入道雲(小説)

夏の午後、蝉の鳴き声が途切れなく続いていた。
陽炎がゆらゆらと道路の先に立ちのぼり、アスファルトを滲ませている。

12歳の風太は、麦わら帽子をかぶって川沿いの土手を歩いていた。
手には、祖父の形見の古いカメラ。フィルム式で、シャッターを切るたび「カシャン」と気持ちいい音が鳴った。

「あの雲、撮っとこ」
風太は立ち止まり、空に浮かぶ巨大な入道雲にレンズを向けた。
モクモクと湧き上がる白が、青空に突き刺さるように広がっている。

シャッターを切る。
何枚か撮ったあと、ふと川辺の方から笑い声が聞こえた。

「風太ーっ!」

麦わら帽子にワンピース姿の少女が、こちらに向かって手を振っている。
千夏だった。
小学校の同級生で、夏休みに入ってからよく一緒に遊ぶようになった。

「来るの遅いよ!スイカ、もう食べちゃうよ?」

「あー、待って、今行く!」

風太は帽子を押さえながら走った。
土手を駆け下りると、木陰の下にビニールシートと、冷えたスイカが用意されていた。

千夏がスイカをナイフで切り分けると、赤い果肉の中に、黒い種がぽつぽつと顔を出した。

「タネ飛ばし、勝負ね!」

「またかよー。…でも負けないぞ!」

二人は夢中でスイカをかじり、種を飛ばした。
その声が、川辺に反響して、どこまでも続いていくようだった。

夕暮れが迫り、空は茜色に染まっていた。

「また明日も来ようね」

「うん。でも、夏休みもあと少しだな」

ふと、風太は言った。

千夏は少し笑って、風太の帽子を指ではじいた。

「じゃあ、明日は“今年一番の夏の日”にしようよ」

その言葉は、風太の胸の奥に、小さく火を灯した。

明日も、同じ空の下で笑える。
そんな約束が、夏の夕暮れに溶けていった。

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